TAIFU BOY

見たものの記録、日々の記録

19.11.25

夏の暑さに弱く、冬の曇天に弱い。
天気が悪いと気がふさぐのをどうしたら改善できるかが分からないんだけど、日光は浴びておきたい。

 

ヤスミン・アフマド監督のことを話すときに、ファミリーネームだとおもって「アフマド監督」というべきかと思ったんだけど、マレーシアにはファミリーネームがなく「自分の名前・父親の名前」の組合せだときいて、アフマド監督が適切でないことを知った。知らないことばかり……。

ジェイソンが仲間のところへ行っていきなり踊りだすシーン、あれも最初は「ギターをひくまねを一、二秒してくれたらいい」と言われていたのに、じっさいは何分もカットがかからず、仕方なく踊りだしたんだと知って……。 ほぼ演技経験のない人から「演技」ではなく「反応」を引き出すというのは何となくわかるんだけど(シネファイの今市さんがそうだと思う)、そのためにわざと嘘を伝えたり、あえて何も知らせなかったりすることがいいとは思えなくって、演技未経験の人のしぜんな反応のためであっても、やっぱりちょっと、うーん……。個人的には、身体接触にかんするものは絶対にダメだと思うし(キスシーン、セックスシーンの撮影については事前にどこまで身体を見せ、どこにふれるか、という双方の同意は必ず得るべきだとおもう)、怒られる・詰問される、というストレスが過剰にかかるのもダメ。とにかく、一方的に知らされていないという状況がちょっと、辛いなあ。好きだけに。

19.11.22

ひとつずつ情緒を片付けていかないと。

むりくり予定を空けて「細い目」と「タレンタイム」「帰れない二人」をみた。「細い目」「タレンタイム」はヤスミン・アフマド監督がえがくマレーシア。マレーシアは多宗教・多民族。映画も、マレー語・英語・広東語が会話に混在しており、登場人物も様々。優しく、チャーミングで、コミカルで、けれども悲しく、さみしく、やりきれなくて……よろこびも憎しみもひとの両輪であり両翼であり、そのどちらもをえがいているけれど、けっして悲しい方向だけにかじを切ることはなかった。そこに、人へ対する愛情だとか、希望のようなものをかんじた。

「細い目」でジェイソンを演じた俳優さん、しらべたら、ヤスミン監督と同じ広告代理店勤務で、オーディションを受けたという経緯らしく、主演はこれ一作のみ。現在も広告代理店勤務らしいけど、ちょっと驚いてしまう。すっっっごく良かったから。最初、この子がおかあさんへ詩を読むところから始まるんだけど、その声や、お母さんのとなりに膝を立てて座って、髪をさわられて避けるしぐさとか、ほんとうに、多感な男の子のあれこれが詰まっていた……。もったいないって思ってしまうけど、これはわたしのエゴ。

ほんとうにとても素敵な映画。

 
「帰れない二人」は、中国の映画。2001年から2017年の中国という国そのものの変化と共に、大同というふるい炭鉱の町で生きていたやくざもののビンとチャオの人生をえがいていた。チャオはビンをかばって五年服役するけれど、さきに出所したビンはすでに他の恋人をつくっていて……。チャオはしたたかに生きぬいて、最後は元いた大同へもどり、渡世を貫くんだけど、彼らの持ち物がガラケーからスマートフォンにかわり、子分の服装は今どきらしくなった以外、生活になんの変化もない。新エネルギーの開発や、ダムの建設、オリンピックの開催、中国がどんどんと変容・発展してゆくなかで変わらずにいるチャオと、変化の波に取り残されてもがいているビンと。観た後、なんともいえずどんよりとした気分になった。帰れない二人は、元いた場所へ帰れない二人ではなくて、どうしてもお互いの元へ帰れない二人だ。

19.11.17

少クロ名古屋二日目行ってきた。いつもドームの天井のようなところから双眼鏡で観たいところばかりみていたので、今回、スタンドのまえのほうで(前の人の背が高くてステージ中央がみえないというのもあり)双眼鏡をつかわずに全体をずっとみてたら、なんか、ジェネをババーーーンと全身に浴びたきもち。へろへろ……。

ドームを楽しめる強度を備えて、かれらはまた一段変化したと思った。かつ、五万人弱のエネルギーに飲み込まれることなく、エンタメを提供する側として踏ん張る内面の緊張感のようなものも感じられて、とても良かった。(観客の熱狂とメンバーの高揚が相互に作用しているといういい雰囲気を感じた。)ドームはゆめをかなえる場所ではなく、ゆめを表現する場所なんだって思ったなあ。今この三時間を楽しみながら、来年はまた違う七人を見られるに違いないという確信とワクワクを抱いた。

この日記を書いているさいちゅうにインスタ(191116)みて、胸がいっぱいになってる。この表情をすることがとても……。

好きな個体がしんどかった時期のこと、わたしどことなくまだ消化しきれずに残ってるんだな。あのとき、fam(こんなひとくくりは申し訳ないと思いつつ、適切な言葉が見つからなかった)とかれのお互いが傷ついていた時期があったと思う。お互いの言葉がお互いに干渉しあっていた悪循環の時期が。わたしはfamの物言いに、じぶんは当事者でもないのに、傷ついてしまった。

19.11.07

神共の円盤はぶじ、昨晩届いた。
夫はわたしが韓国版の英語字幕をみていたのを知っているから「ようやく内容わかるんやな」というので、映画をみていたから知っていると答えたらふしぎそうだった。

ゴルフ番組を見ては消し、スポーツ中継を見ては消す夫も、タイガーウッズと石川遼くんの対談番組は消せないし、スターウォーズのEP7が公開されたときは字幕と吹き替えを一回ずつ見に行った。たまたまわたしにはそういう『消せない』ものや『何度もみたい』ものがあなたより多いだけやし。と、いつも思う。
 
むかし夫がわたしのPCを見て『なんでこんな壁紙にしてるん』と、『なんで』のニュアンスがものすごく嫌な感じのいい方をしたことがあって、『わたしが好きでしているものにその言い方をされるのは傷つくからやめてほしい』と言ってから、できるだけ気を付けるようにしてくれている。
 
理解してもらう必要はないし、ただ「そうなんやな」と思っていてくれたらそれでいい。

19.10.28

夫は旅行のお土産をおおめに買うタイプで、今回も四人家族にたいしてお菓子六箱買ってきた。おたがいの実家にはまた別のもの(塩とか)を買っている。お菓子の箱を開けながら「多いから職場へもっていく」というと(といっても同じ部屋で働いているのは三人きりだけど)、「ええよ。おかし品評会とかするやん、いっつも。そういうのしてきてよ」といわれる。

品評会……。改めてきくと可愛い言葉。

おたくは結構品評会をすると思う。じぶんが買った同人誌とか、だいすきな推しのこととか、映画のこととか。みんなで話すやつ。まあ、評はないか。テーブルや手のひらに並べて「かわいいでしょぉ~~!!!!」っていうだけの会。そういうのたのしいよね。あなたの愛でているものが知りたい。

19.10.25

22日は「毒戦」をみた。

予告も、ポスターのキャッチコピーも、うっすらとしか知らない。たぶんわたしの性格だとおもうけど、点と点をみたら、それをむすんで勝手なレールを敷いてしまう。わたしは視野が狭いので、いちどレールをつくってしまうと、そのレールに沿った見方しかできなくなる。そういう状態で見た映画は、本来受け取るべき情報を半分ほど見逃している気がする。

「毒戦」は、何度も見ないとわたしには何も言えない映画だった。放心。ラストシーン、きっとラクは、ウォノが来ることを分かっていたような気がする。「Who am I?」 ということを考える。パンフレットがとても良く、ジヌンさんとジュンヨルさんのインタビューを読んでいると、ますますわたしの気持ちが内にこもってゆく。姿なき麻薬王の逮捕という、アクション+スリル満点のおはなしだったのに、なぜか、どんどんと人の心の内側へもぐってゆくような気分で見続けていたのはなんでだろう。
信じるとか疑うとかいうことの下支えとして、言葉や態度というものがあると思うんだけど、未成年の少女まで利用までして打つ手なし、八方ふさがりのウォノは、どうあろうとラクを信じるほかない状況におかれていて、かつ、ゆっくりと時間を重ねて理解しあうような余裕もなく、死と隣り合わせの状況で、とにかくふたりで手を尽くしていた。そういう中で、何度も彼らの視線であったり、言葉であったりにピントが合う瞬間がいくつもあって、単純に「利害が一致したふたりが手を組む」というのではないという実感にわたしが浸されていった。そのたびにわたしは内にもぐっていった。ふしぎと静かな印象の映画だったのは、オープニングとエンディングのせいかな。オープニングの一本道を、わたしは「もうウォノは戻らない」のだと思いながら見ていた。まだ映画は始まったばかりだったけど。

Who am I? といえば、昔、ホーリー・モーターズと天日坊を続けて見たな。
 
今日から夫が二泊三日の旅行へ行ってしまい、家でコーヒーをいれてくれるひとがいなくなってしまった。

18.12.17

ダブルミンツを見た衝撃は、ボーイズラブコミックの映画化だからというのでなく、田中俊介というひとが演じた「みつお」の衝撃だった。

いやー、良かった。

同じ名前に運命的なものを感じていたふたり。高校を卒業して『また』出会ってしまったふたり。離れていた数年のうちのみつおとミツオの変化が、ふたりの関係にも変化を生じさせているのがとても良かった。

原作を知らないし、わたしは映画の印象のみつおとミツオのことしかわかんないけど、高校を卒業してからのみつおのこと考えたら、泣いちゃう。高校がピークだったのかな、とか。ああいう乱暴なふるまいを、要領よくやって「みつおクン、こえー」とか「おもしれー」とか羨望まじりに言われて、不良っぽさと人懐っこさが絶妙で、女子にも遠巻きに憧れられるような、そういうのって卒業と同時に高校に置いてくるものだとおもうんだけど。みつおはうまく置いてこれないまんま卒業しちゃった感があって、オトナになれない半端者で、それがたまんなかった。

だからミツオと再会したとき、ミツオはもうきちんとオトナをやってるから、いつまでも子どもっぽい物言いと顔つきをしているみつおとの対比がすごくって(もちろん中の人の年齢差もあるんだけど)、手のかかる猫みたいなみつおから目を離せなくなってしまった。

「断髪式」みたいなひどく屈辱的なことをされてるみつおは、なんで佐伯の元を離れないんだろうと思ってたんだけど、舞台挨拶で、佐伯役の小木さんが「みつおは可愛い小悪魔で、ミツオは堕天使」っておっしゃってたのが答えなのかなあって。断髪式はそれはもうひどさのオンパレードだし、みつおが裏切ったときの罰の与え方とかも厳しいんだけど、かれを組員にはさせないし、自分のとなりに座らせるし、警察のひとがいうようにはたからみれば「お稚児さん」。でもって、みつおはみつおで、佐伯が自分のことを可愛がって手放せないのをわかったうえで甘えてる。

断髪式のDVD、出てくる男たちの姿を見ると(ゴーグルマン)、最初から裏DVDをつくるつもりで撮影してたんだなと思う(みつおだけ顔出し)。最後、佐伯が顔を出しちゃったからか、多分このビデオはお蔵入りになったのかなって勝手に想像してた。佐伯は「さえきさん、さえきさん、」って泣きながらヤられてるみつお見てたら可愛くなっちゃって、手元に置いときたくなったのかなって。

そうそう、わたし、警官を撃って、自分も撃たれたみつおが、どうしてもミツオを巻き込みたくないと思ったときに頼るのが佐伯だということにもちょっと驚いたんだよね。もちろん佐伯の指示だから連絡を取り合ったんだろうけど、この人は、自分だけでなんとかするというふうにあたまが働かずに、頼る先を探してしまうのかなと思うとまた泣けちゃって。
佐伯も佐伯で、お医者は用意してくれるし、逃がしてくれる。

みつおと出会ってからのミツオの狂い方もめちゃくちゃ良かったな。
みつおより肝がすわってるんだけど、みつおがいなくなるとめちゃくちゃになる。みつおはミツオのために離れようとするけど、ミツオには離れるつもりがいっさいない。「アンドロギュノス」のくだりとか、見るもの、きくもの、なにもかもが「おまえはみつおと離れては生きてはゆけない」と天啓のごとく示されて見えているのではないかと思った。
DVDを見たあとも謝らないし、「一緒に死ねるか」といわれても答えない。なにがどう転んでも、自分がみつおのそばを離れないことは「きまって」いることだから。

このふたりは一緒にいたら無敵になるんじゃなくて、一緒にいたら、一緒にいるということ以外のなにもかもがダメになってゆくような予感がまとわりついていて、韓国へ向かう船のなか、ミツオへ痛み止めをやりながら「一緒に死ねるか」と、生きる・死ぬと正反対のものごとを示すみつおの顔がめちゃくちゃ好きだった。この先に待つものに期待を寄せることはなくて、ただ「一緒にいる」ことだけしかきまっていないふたりの道行が、はたしてハッピーか、アンハッピーか。でもそれはふたりにもわかっていないし、もはや日本を離れたふたりにはどうでもよいことのなのかもしれない。

田中俊介さんは、良かった…。
あんなにもバリエーションのある「殺すぞ」。怒りもあれば、虚勢もあり、それがひたひたに含まれた言い方をするので、この人はすごい人だなあとおもった。
あと、ダブルミンツを見た後、ボイメンの色んな動画を見て、もう一度ダブルミンツ見直したけど、ボイメンの田中俊介さんとダブルミンツ田中俊介さんがリンクしないので、めっちゃ集中して映画が見れた。田中俊介さんのパーソナリティとは切り離して「みつお」の存在を実感した。

あと、警察のひとが、佐伯のとなりに座るみつおのことを「かわいいですね」ってわざというんだけど、一般の「かわいい」で想像する男の子とみつおは全然ちがうと思うんだよね。いわゆる美少年じゃない。でもみつおのこと「かわいい」っていうあの瞬間をわたしは「めっちゃわかる」って思うんだよね。だってそこにある「かわいい」の下地は「愛でる」という意味でなく「玩ぶ」の意味だと思うから。

たまーに、めっちゃシュールで人間味のある瞬間がいくつもある。
病院の外で佐伯の「用事」を待っているとき、部屋から外へ落とされた人見つけて「だいじょうぶですか? きゅうきゅうしゃよびますかぁ?」ってツンツンするみつおとか(佐伯のやったことだなんてちっともわかってないふう)、みつおがいなくなった後、部屋中(ひとの部屋)むちゃくちゃ壊しまくって暴れるミツオが、ふいに冷静になって、携帯を取り出して佐伯呼び出すところとか。お荷物だったはずのみつおを最後送り出すとき、ふつうに「さみーな」って声かける佐伯の部下とか。
これらのシーンを他の皆さんがどう受け止めたのかはわからないけど、生活のなかに暴力が切り離せない社会っていうものを体感したことがないわたしには、こういう緩急みたいなものが、すごく当たり前の、ふつうの出来事みたいにして見えて、めちゃくちゃ良かった。

しばらくして、色々レポートなどを漁った。中村明日美子先生が「(みつおが)原作よりかわいいので刮目せよ」とおっしゃっていて、田中さんのみつおはめっちゃ可愛く仕上がってんだなあと思った。あと、長い準備期間のあいだ「市川光央」で飲食店の予約取ったり領収証切ってもらったりして、みつおとして生活してた田中さんのおはなしとか。