19.10.25
22日は「毒戦」をみた。
予告も、ポスターのキャッチコピーも、うっすらとしか知らない。たぶんわたしの性格だとおもうけど、点と点をみたら、それをむすんで勝手なレールを敷いてしまう。わたしは視野が狭いので、いちどレールをつくってしまうと、そのレールに沿った見方しかできなくなる。そういう状態で見た映画は、本来受け取るべき情報を半分ほど見逃している気がする。
「毒戦」は、何度も見ないとわたしには何も言えない映画だった。放心。ラストシーン、きっとラクは、ウォノが来ることを分かっていたような気がする。「Who am I?」 ということを考える。パンフレットがとても良く、ジヌンさんとジュンヨルさんのインタビューを読んでいると、ますますわたしの気持ちが内にこもってゆく。姿なき麻薬王の逮捕という、アクション+スリル満点のおはなしだったのに、なぜか、どんどんと人の心の内側へもぐってゆくような気分で見続けていたのはなんでだろう。
信じるとか疑うとかいうことの下支えとして、言葉や態度というものがあると思うんだけど、未成年の少女まで利用までして打つ手なし、八方ふさがりのウォノは、どうあろうとラクを信じるほかない状況におかれていて、かつ、ゆっくりと時間を重ねて理解しあうような余裕もなく、死と隣り合わせの状況で、とにかくふたりで手を尽くしていた。そういう中で、何度も彼らの視線であったり、言葉であったりにピントが合う瞬間がいくつもあって、単純に「利害が一致したふたりが手を組む」というのではないという実感にわたしが浸されていった。そのたびにわたしは内にもぐっていった。ふしぎと静かな印象の映画だったのは、オープニングとエンディングのせいかな。オープニングの一本道を、わたしは「もうウォノは戻らない」のだと思いながら見ていた。まだ映画は始まったばかりだったけど。
Who am I? といえば、昔、ホーリー・モーターズと天日坊を続けて見たな。
今日から夫が二泊三日の旅行へ行ってしまい、家でコーヒーをいれてくれるひとがいなくなってしまった。